ATTENTION!
これは「APヘタリア」のカップリング要素なしの二次創作です。
以下の要素が含まれます。
・キャラ同士の争い
・流血、または残酷な表現
・国名呼び
ご了承いただける方のみ次へお進みくださいませ。
「駄目です‼ 行き止まり!」
「こっちもだ、別の道を探そう日本‼」
「あっ、フランスさん後ろ!」
日本は目一杯の力でぐいとフランスの腕を引き寄せると、フランスの背後に突如現れた『おもちゃの兵隊』に向かって刀を降り下ろした。
「はあああぁっ!!!」
パキン、というガラスを割るような音をたてて、兵隊は粉々になり崩れた。残った残骸はすぐに砂状になり、さらさらと、風もないのに何処かへ舞ってゆく。
「大丈夫ですか!?」
「………大丈夫。助かったよ日本……ありがとう」
フランスは引っ張られた勢いで座り込んだまま、まだ恐れを残した実に中途半端な笑顔で言った。そして絞り出すように呟く。
「今のは……ファインプレーだな」
「…………えぇ、我ながら。気付けて良かったです」
もし気付かなかったら、そう思うとぞっとする日本。回りの注意を怠るなと、再び自分に強く命じる。
「……もう兵隊はいないみたいです。追ってきたのはあの一体だけだったようですね……もっといたような気もしましたけど」
ざっと周りを見渡し、迫る足音が何もないことを確認してから、日本は深く息を吐いた。
「……しかし」
呆れ顔で頬をかくフランス。
「なんで『おもちゃの兵隊』なんだろうな」
「……昔もっていた玩具とか」
「あの型のおもちゃがうまれたのは、アイツがもう大人になってからだよ」
日本は唸った。
「では……誰かへの贈り物とか。よっぽど記憶に残っていれば、ですけど」
「…………そう、だよね~」
考えるようにフランスは目を閉じた。彼とは昔からの仲であるから、思うところも多いのだろう。日本がそう思った瞬間、フランスは大の字になって床に転がった。
「あぁー‼ こんなことにならなければ今ごろ愛しいマドモアゼルたちと御飯だったのに‼ あんのくそ眉毛~~‼」
「まぁまぁ、もとはあなたが志願したことでしょう? イギリスさんの夢に行きたいと」
「…………それもそうだけどさぁ……」
納得がいかないように、フランスは口を尖らせた。どこにいようと変わらないフランスに少しの安堵を覚えながらも、日本もまた、この状況に不安を覚えてしまう。敵の本体はどこなのか、そして何故彼がこうなったのか。きりがないとわかっていながら、日本はゆっくりと、今までの出来事を思い出していた。
事の発端は、今日の世界会議だった。
「!!??」
その場にいた全員が、ばっとイギリスの方を向いた。ガンッという痛そうな音をたてて、イギリスが突然机の上に突っ伏したのだ。
暫しの静寂。誰もが何が起こったかを理解できず、ただただ驚いていたのみの時間。
最初にそれを破ったのはアメリカだった。
「HAHAHA‼ イギリス、ホスト国にしてはなんとも豪快な居眠りっぷりだね‼」
「……凄く……痛そうでしたけど……起きませんね」
「ふふ、居眠りなんて感心しないなぁ、イギリスくん。ロシアの洗礼を受けさせてあげようか?」
「…………不穏ある」
アメリカの言葉に続いて、口々に感想を述べてゆく一同。しかしすぐに、ざわついた室内に乾いた拍手が2回響いた。
「静粛に。今は会議中だぞ!」
「……ヴェー、ドイツはまじめだぁ」
会議の進行役のドイツが、その鋭い眼光でいなすように国々を見回す。もっとも、それで黙るような連中ではないが、ややあって皆落ち着きを取り戻し始めた。
「イギリスも、起きないようなら誰か起こしてやってくれないか」
「あ、はーいはーい‼ お兄さんがやる!」
ドイツの声かけにフランスが名乗りをあげ、小走りでイギリスに近付く。会議の資料で作ったのだろう、自前のハリセンを掲げ、そしてそれを思いっきりイギリスに向かって降り下ろした。
スパーンと良い音がした。フランスはにまにまと満足げで、その場にいたほとんどの者はイギリスを見つめ、いったいどんな反応を見せるのか見守る。10秒たち、30秒たち――――1分がたった。
「……イギリスさん?」
不安に刈られて日本がイギリスを呼んだ。しかし反応はない。
「おーいクソ眉毛‼ 起きろ‼」
フランスが明るい声で、イギリスの耳元で叫ぶ。だがその頬に冷や汗が伝ったのを見て、いよいよ日本の不安は確信に変わる。
室内の全員が気付き始めていた。何かがおかしい、と。
「…………」
するとおもむろに中国が立ち上がり、つかつかと、イギリスに歩み寄った。けれども触れることはせず、ただ両手を腰にあて、じっと視線を注ぐ。
すると、
「イギリス?」
似つかわしくないほど不安な声が響いた。アメリカの声だ。
「ねぇイギリス? どうしたんだいそんな黙って。ハハ、ジョークにしてはつまらないよ?」
そしてまた彼も立ち上がり、ややおぼつかない足取りでイギリスに近付く。中国の横を素通りして、両手をイギリスの肩にかけようと手を伸ばした。
しかし。
「触るな!!!」
ビクッと肩を震わせるアメリカ。普段からは想像がつかないほどの剣幕で叫んだのは中国だった。
「触るな」
もう一度繰り返す。鋭くアメリカを睨んでから、くるりとドイツの方を見ると言った。
「会議は中断ある。今日はもうこれで終わり、明日また再開じゃダメあるか」
「………あ、あぁ。構わないが……」
納得したように中国は頷いた。すぐにアメリカに向き直る。
「美国」
「……なんだい」
「自分のジャケットであへんを包んでから、あへんを医務室に運ぶある。絶対直接触れんなあるよ」
怪訝な顔をするアメリカ。
「服にもかい?」
「そうある」
「……わかった」
そして言われた通りにアメリカはジャケットを脱ぎ、自分とイギリスが直接触れないよう、工夫してジャケットをイギリスに被せる。体を持ち上げると、成人男性にしては随分と軽い体重が腕にかかった。腕や首がだらんと力なく垂れ、イギリスが完全に脱力しきっていることがわかる。
アメリカの胸が、ちくりと痛んだ。かつては兄だった、憧れていた者のこういう姿を見るのはどうも辛いことだ。たとえそれが、自分から捨てたものであっても。
「…………」
そこで中国がドイツに視線を送る。それに気付いたドイツは、はっとして宣言した。
「今日の世界会議は解散とする‼」
その声を合図に、水を打ったように静かになっていた部屋に、小さなざわめきが波のように広がる。だんだんと大きくなったそれは、楽しいとはほど遠い、混乱や推測を言う声がほとんどだった。
「ヴェー、日本……イギリスは……」
「…………私にも……分かりかねます」
絞り出すように答えた日本だったが、中国があれほど強く叫んだことが、どうも頭にひっかかっていた。彼は言葉を荒げることは多くても、人に激しく命令をぶつけることはしない人だ。その中国さえもが怒れる―――いや、恐れるもの。それはやはり…………
「日本?」
ハッとする日本。イタリアが不安げにこちらを見ている。慌てて笑顔を取り繕うと、なだめるように言った。
「すいません、考え事をしてました」
「そっか、良かった~」
「あ、あの、イタリアくん。少し席をはずしますので、ドイツさんに聞かれたら、医務室にいると伝えていただけませんか?」
「……イギリスのとこに行くの?」
イタリアは察しが良かった。俺もいきたい。そう言うイタリアに、日本は首をふる。
「危険なものかもしれません。私、実は心当たりがあり……力になれるかもしれないんです」
しばしイタリアがじっと日本の瞳を見つめた。心のうちを見透かすようでもあるその瞳に、日本はやや緊張して彼の次の言葉を待つ。
「…………うん」
こくり。やがてイタリアが飲み込むように何度も頷いた。
「わかった。ドイツには俺から言っておくよ」
「助かります。……ありがとうございます、イタリアくん」
お礼をいって、日本はさっと席をたった。キョロキョロと見回せば、アメリカと中国は、まさに今部屋を出ていこうとしているところである。
日本は小走りに、二人の後を追った。
中国とアメリカは、医務室に向かって歩いていた。
「……ねぇ中国」
アメリカが口を開いた。
「なんあるか」
「……イギリスは……どうなっちゃったんだい?」
「…………」
普段のアメリカらしからぬしゅんとした物言いに、中国は頭をかく。
「……あれは」
「お二人とも!」
中国が口を開きかけたところに、日本が丁度かけてきた。
「あのっ、イギリスさんのことなんですが」
追い付くやいなや、はぁっと大きく息を吐いて呼吸を整える日本。そして抑えきれないかのように続けた。
「あれは、もしかして、む――」
「―――夢魔」
言葉を被せる中国。日本は大きく目を見開いた。
「……やはり、気付いていらっしゃいましたか…! 」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ‼ 」
日本と中国が互いに頷いているのを見て、アメリカは焦ったように言葉を発する。
「ムマ、ムマってなんだい? 」
「えーっと………」
うまい言葉を探せず、日本はうーんとうなる。すると中国がイギリスを指差して言った。
「とりあえず、あへんを寝かせるあるよ」
一行はすでに医務室のすぐそばまで来ていた。中に入ると、白を貴重とした室内に、病院のような独特の匂いが鼻につく。この匂いが嫌いなアメリカは、こっそり眉をしかめた。
中国が一番奥にあるベッドをしめすと、すかさず日本がベッドの上の布団やらなんやらを避ける。アメリカは空いたベッドの上に、ゆっくりとイギリスの体を置いた。
イギリスは状況に似つかわしくない安らかな寝顔である。複雑な表情でそれを眺めるアメリカに、日本が先程の続きを語った。
「夢魔と言うのは……夢にとりつく悪魔のようなものです。取りつかれた人は、今のイギリスさんのように突然眠ってしまい、ひたすら悪夢を見続けます。夢魔が出ていくまで、眠ったまま………」
「……イギリスの体に影響はないのかい?」
「身体的にはこれと言った悪さはしないんですけれど、」
瞬間、安心したような顔をしたアメリカ。だが日本は実に申し訳なさそうに告げる。
「眠っている間、食事を自力でとれないので……栄養失調で死ぬ可能性も…無くは、無いです。国なのでなんともいえませんが」
アメリカの眉がぴくりと動く。彼は何も言わなかったが、その目が殺意に近い感情に燃えているのを見て、日本は思わず唇を固く結んだ。
中国は手近にあった椅子に腰掛け、その様子をじっと見守っていた。やがてため息をつくと、幼い子供をあやすように言う。
「とにかく、あへんの体から夢魔を出さないといけないある。ただ直に触れると、触れた本人に夢魔が移るかもしれないあるから……」
顎に手を添え、中国はしばし考える。
「やっぱり、ここは我が護符をつくって、それの守護のもと、誰かが直接あへんの夢に入るしかないあるね」
「……直接夢に入る……? 」
日本が首をかしげる。中国はひとつ咳払いをした。
「そうある。我は護符の力を一定に保つために夢にはいれないあるが………護符の守護を受けたものは、自分の精神を夢魔に乗っ取られることなくあへんの夢に入れるある。そこで夢魔の本体を見つけ、なんとか追い出せば、勝手にあへんも目覚めてくれるある」
どうだと言わんばかりに、アメリカと日本を見た中国だったが、二人の顔は今一つと言ったところである。
「本当にそんなことできるのかい?」
アメリカが眉をしかめたまま言った。
「仮に成功したとしても僕らがその後夢から出てこれるのかわからないし、そもそもそれが本当にそうなるのかすら……」
今度は中国の眉がぴくりと動く。
「それにイギリスの体はどうなんだ? 彼の身が危険にさらされるのはやめたほうが………」
「うっさい!!」
しびれを切らした中国は、ビシッとイギリスを指差して叫んだ。
「ぐだぐだと!いつもの威勢はどうしたあるか⁉ こいつを助けるにはそれしかないある!それとも美国は他の方法をしっているあるか、あへんを助ける?! 」
水を打ったように部屋が静まり返った。横目でアメリカをおそるおそる見た日本は、アメリカの手が微かに震えていることを確認する。だがその瞳に浮かぶ感情は、殺意ではなく恐怖だった。おそらくは、イギリスを失うことへの恐怖。
中国もそれを汲み取ったのだろう、続けて彼の口から出たのは、優しく静かな声だった。
「もしあへんのために何かしたいなら、イギリス国内一の大病院を探してくるよろし」
中国の言葉に、アメリカが大きく瞬きをした。
「栄養の点滴を打つには、入院させる必要があるある。それにそういうところでないと、あへんが倒れたことを隠せないあるからな。国内に無用な混乱は起こしたくないある」
「………!」
だんだんとアメリカの瞳が光を宿し始める。
わかった。彼は一言だけ呟くように言うと、回れ右をしてすごい速さで部屋を出ていった。足音がしだいに遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
日本はその残像を眺めるように、アメリカの過ぎ去った後を呆けた顔で見つめていた。だがゆっくりと顔をまわし、当然と言ったようにどや顔をする中国をとらえると、思わずふっと笑いをこぼす。
「思い通り、といった具合ですか」
「……ちっちゃな弟をあやす兄の気分あるよ」
やれやれとため息をついた中国だったが、その脳裏に、かつて自分を兄と呼び慕っていた国の姿がちらついた。ひどく懐かしく、切ない不思議な感情が浮かび、思わず目の前の男を見る。
すっかり成長したかつての弟は、きょとんとした顔でこちらを見ていた。自分が感傷にひたっていることなど露ほども知らぬのだろう。中国は自嘲気味に笑って、この場合はじじぃと孫かもしれないあるね、と茶化した。
「さて、それじゃ始めるある」
「え、今からですか⁉ 」
どっこいしょと腰を上げた中国に、日本はすっとんきょうな声をあげる。
「今からある。護符は文字さえきちんと書いてあれば、会議資料の裏にかいたものでもはたらくあるし、ぐだぐたしてる暇もないあるからな」
「な、なるほど………」
ここは中国に従うのが一番だろう、そう感じた日本は素直にうなずいた。だが今度は中国が眉をひそめる。
「ただ………一人で行かせるのは凄く不安ある。せめて二人……誰かもう一人よんでくるべきあるか……?」
それはどちらかと言えば独り言に近かった。会議室から誰か一人呼んできましょうか、と日本がいいかけたその時。
「はいはーい、ここにお兄さんがいまーす」
二人がバッとそちらを見れば、医務室の入り口からひょっこりと顔を覗かせる男の姿があった。
「フランスさん!」
「話は聞いたよ。 そこはやっぱりお兄さんが行くべきだよね!!」
目をぱちぱちと瞬かせる日本に、フランスは実に朗らかに答えた。
「……おまえ、いつからそこにいたある」
「んーと日本が夢魔の説明してるときくらいから?」
「ほぼ始めからじゃねーあるか!」
手をヒラヒラとふるフランス。
「だって出てくタイミング分かんなかったんだよ。まぁ、それよりさ」
がらりとドアを開け、フランスは部屋に入ってきた。そして可愛らしいウインクをひとつ。
「人手、足りないんでしょ? 今ならお兄さんがついていってあげてもいいよ!」
「………そんなに緩い話じゃないあるよ」
「わかってるよ。でもね」
そしてちらりとイギリスを見る。
「こいつとは……腐れ縁だしね。まぁ助けない義理もないでしょ。なんてったって俺、世界のお兄さんだし」
随分おちゃらけた言い方だったが、フランスもまた、素直になれないだけである。それを理解した日本は、中国に向き直って言った。
「フランスさんもこうおっしゃってることですし………お願いしてみては? 私もフランスさんと一緒なら心強いです」
ね?と中国の同意を求める日本。中国は深くため息をつくと、しょうがないと言うように肩をすくめた。
「なら二人で行くよろし。準備するから、そこで待ってるある。書くものと紙もってるあるか」
「あ、俺持ってる」
フランスがボールペンとくしゃくしゃになった会議資料を取り出した。
「なんでこんなしわしわあるか……」
眉間にシワを寄せてそれを受け取った中国は、資料を丁寧に広げ、その裏にさらさらと何かをかきはじめる。日本はその様子を覗きこんで見てみたが、それは日本の悪霊退散には使わない文字で、何が書いてあるかはさっぱりだった。
「夢の中にはいっているとき」
書きながら中国が説明する。
「基本的に現実の肉体はダメージをうけないある。夢の中で怪我をしても、現実の体は無傷。でも精神的には傷が残るある。ほら、悪い夢を見たとき、現実では何も起こらないあるが、起きたときその夢のことは覚えてるある? あれと同じある」
フランスと日本が頷く。
「でも夢の中で死ぬことに近い何かが起こると、それは魂の消滅と同じあるから、現実でも死んじまうある。それさえ気を付ければ、ある程度大丈夫よろし」
「………そんなえぐいことが起こるの? 夢の中って」
「保険あるよ。夢はある意味何でもありな空間あるからな、何が起こるか我にも想像つかんある」
そこで中国ははたと気付いたように手を止めた。
「言い忘れてたあるが、何でもありなのはおまえらもおなじある。頭で想像できるものなら、欲しいと願えばたちまち具現化するある」
フランスが口笛をピュウッと鳴らす。
「すごい、ファンタジーみたいな話だね」
「実に興味深いですね………!」
アニメ好きの二人にはたまらないらしい。日本の目に至っては、すでにオタクのそれだった。
中国小さく笑うと、最後の一筆を紙にかき始める。
「ただし、あくまでも夢の主はあへんある。あへんが創造した物体は、おまえらが物理的に破壊しない限り消えないあるからな、気を付けるよろし」
「はーい」
「わかりました」
二人が返事をしたところで、丁度護符が書き上がった。一度じっくりそれを眺め、不備がないか確認。大丈夫だと判断してから、それをそっとイギリスの胸の上の辺りに置いた。だが、そのままイギリスの前を動こうとしない。その代わり静かな声で言った。
「この護符にふれればあへんの夢の中にはいれるある」
中国が目を閉じ、大きく息を吐く。
「何があるかわからんある。身の危険を感じたら、現実に戻りたいと強く念じるあるよ。わかったあるね?」
深く頷く二人。それを見て、中国は一歩退いた。あとは自由にやれということだ。
フランスと日本はしばし互いに見つめあい――――やがて共に手を差し出し、護符に触れた。
「………これは、驚きですね………」
一瞬で、二人は見知らぬ場所にいた。
床は大理石のようでひんやりと冷たい。壁は古めかしい石造りだった。一定間隔で大きな窓があり、そこからは美しいバラの咲く中庭が見える。それはいたって普通だった。
だが不可解なのは、時折その壁や床がグニャリとまがり、先程までなかったところに道ができたり、あるいは消えたりすることである。
「………あの空間のゆがみは、イギリスが見てる夢の変化で生じるのかな」
フランスの問いに、日本も頷いて同意した。
「まずは変化が落ち着くのを待った方が良さそうですかね」
「そうだな。……あ、いや、でもまぁ動かないのもあれだしさ、ちょっとだけ歩いてみない?」
「それは…………」
危険なのでは、と言いかけて、日本は口をつぐんだ。正直なところ、こんな状況でもやはり多少の好奇心はわくもので、他はどういう風になっているのか日本も興味がある。しかしここにいた方が安全なのも間違いない。日本の中で、二つの感情がせめぎ会う。
「……行ってみましょうか」
結局欲望に勝てず、日本は己にため息をつきながら言った。
「Oui、行こう」
フランスは嬉しそうにはにかむと、通路を左手に進み始めた。
「この中庭に入ってみたいねぇ。どっから行けるのかな」
「そうですね。えーと………」
日本は回りを見回した。
そのとき、不意に懐かしい景色が浮かんだ。バラの咲く中庭、大理石の廊下、そしてそこを歩く自分。
「……………あれ、ここ…どこかで………」
だんだんと、記憶が鮮明になっていく。自分が中庭に向かうと、そこには丁寧に手入れされた花々が咲き乱れており、そして、自分を見つけ、手を振るのは――――――――
「…………イギリスさん?」
どくん、と自分の中でなにかが脈打つのがわかった。
「フランスさん!」
「ん?」
「こ、ここ、イギリスさんの別宅ですよ!」
「……」
日本の言葉をうけ、ぐるりと辺りを眺めるフランス。
「……ホントに?」
「本当に! 同盟を結んだ頃に……来た覚えが……」
訝しむフランスに、段々と日本の語尾は小さくなる。そんな日本を他所に、フランスは顎に手をあてしばらく唸る。
「そのころの別宅………あぁそうか、俺行ってないんだそのころ。あーなるほど、別宅と言われれば造りは確かに………」
なにやら自分で納得しているようであるフランス。
「……ここがイギリスさんの別宅なら、中庭への道は、この先の右手……」
日本は少し走ってフランスを抜き、それらしいものを探せば、確かに中庭へと通ずる道があった。
「間違いない……」
中庭に抜ければ、目の前には美しいバラが無数に咲き乱れていた。バラの世話は彼の得意とするところである。自分の記憶云々もそうだが、なにより懇切丁寧に育てあげられたバラが、自分達はイギリスに育てられたのだと言っているようだった。
「ほぉ~、こりゃまた見事な」
あとから中庭に到着したフランスが、呑気に感嘆の声をあげる。
「あいつらしいね、夢にバラだなんて」
「えぇ、本当に」
日本は屈むと、そっと右手で一輪のバラに触れた。柔らかな花びらは、ここが現実でないことを忘れかけるほどだ。
だが、そのとき微かに聞こえた金属音が、日本を現実に引き戻した。
「………………!」
フランスのほうを見ると、彼もそれに気付いたらしい。真剣な眼差しでひとつ頷いた。
「それに日本。壁……いや景色の歪みが、さっきよりひどい」
フランスは自分の目の前を顎でしゃくった。ハッとして見ると、確かにさっきより広範囲で、波打つように景色が揺れている。日本はさっと立ち上がった。
「夢が変わるのでしょうか」
「おそらくは、ね。音も……なんだか近づいているようだし」
「…………」
二人で耳を済ます。金属音は次第にはっきりと聞こえるようになり、するとすぐにそれが足音だとわかった。
なんの足音だろうと、緊張した面持ちでお互い顔を見合わす。次起こるかもしれない何かに自然と身構えた。その瞬間。
ぐにゃり。
「‼‼」
今までとは比べ物にならないほどに、景色が、空間が歪んだ。自分が立っていた場所が圧縮されたように醜く変貌し、色を混ぜ合いながら変わっていく様に、日本は込み上げる吐き気を感じた。
「日本!」
思わずしゃがみこもうとしたとき、フランスの叫び声が聞こえた。
「駄目だ!気をしっかりもて!」
「…………ッ」
根性で踏ん張り、日本はまた強く立ち上がった。ここで帰るわけにはいかない。まだ何もわかっていないのだ。
一分、いや、日本が長く感じただけで、実際はもっと短かったのかもしれない。今までうごめいていた色が、あるべき姿になろうとするように突然すっと集まり、新たな景色が形作られた。
次に二人が立っていたのは、薄暗い石造りの廊下だった。別宅の地下と言われればそうかもしれない。埃っぽさまでが現実のようだった。
変化が落ち着いてついに気が抜けたのか、日本がよろめいた。
「日本! 大丈夫⁉」
駆け寄るフランス。
「はい……。すいません、軽く酔ってしまったみたいで……もう大丈夫です」
日本はゆっくりと上体を起こし、背筋を伸ばした。回りをみると、大きな変化は終わったようだが、細々とした変化は続いている。まだ夢の形成途中といえばよいのか、警戒は続けるべきであろう。そう思った直後、廊下の一番奥に、日本は何かの姿をとらえた。
今なお聞こえる例の金属音はあちらから聞こえてくる。よくよく目をこらし、『何か』がなんなのかわかった日本は驚きに目を見張った。
「おもちゃの兵隊…………?」
刹那、兵隊のひとつが一瞬で間を詰め、手に持っていた剣を振った。
「‼」
すんででかわす日本。兵隊は次にフランスに斬りかかり、フランスもまたギリギリでそれをかわす。
なんでという疑問も、まるで瞬間移動したかのような兵隊の動きの謎も、考える暇などなかった。兵隊は次々と二人を襲い、それを武器無しで捌くのにいっぱいいっぱいだからである。兵隊ひとつひとつの動きは大したことはない。しかし一度に20ほどの兵でかかってくるのは流石に厄介であった。
初めは涼しい顔をしていたフランスもいよいよ焦りはじめた。ここで二人で立ち往生をしているわけにはいかない。なにより、このままでは何をするでもなく疲れて斬られの共倒れである。
何か策はないか。懸命に動きながら思考を巡らすフランスの脳裏に、ふと中国の言葉が浮かんだ。
『頭で想像できるものなら、欲しいと願えばたちまち具現化するある』
「…………!!!」
フランスは目の前の兵隊に渾身の蹴りをくらわすと、その一瞬だけ出来た余裕を使ってこれでもかと強く念じた。自分がかつて護身用に使っていた愛剣のレイピア、そしてそれを持つ自分を。
手になにか固くて冷たいものがふれた、気がした。
眼前に兵隊が迫る。フランスは無我夢中で突きを繰り出した。昔どこかのいかつい眉毛と剣技の練習をしたことが、なぜか頭をよぎった。
パキン。金属がぶつかったにしては軽い音が響き、フランスは目の前を凝視した。おもちゃの兵隊は粉々に砕け、砂になって消えていく。手には、確かに昔愛用していた剣が握られていた。
「……本当に…………できた……」
ぼさっとしている暇はなく、そう言ったあとすぐさま動きだしたフランスだが、興奮はまだ冷める様子を見せなかった。戦いながら自然と口角が上がるのを止められない。不謹慎にもほどがあるのを分かっていながら、フランスは今のこの状況を楽しまずにいられなかった。
「日本‼」
苦しそうに動く日本を呼ぶ。フランスの声かけになんとかこちらをみる日本。だがフランスの持つレイピアを見た途端、その目が自然と何かを悟ったように光を宿した。
フランスは日本に襲いかかる兵隊にも強烈な突きをお見舞いし、日本が想像できる間を作ってやる。だが少し苦しかった。たった数秒、身体の重心がぐらつき、攻撃がぶれる。
「やばっ……!!」
やっと重心をもとに戻せたときには、すでに兵隊が斬りかかってきていた。多かれ少なかれ痛みや衝撃を覚悟し、フランスはなけなしの防御の構えをとる。
だがそのときは訪れなかった。兵隊がフランスに攻撃するより先に、兵隊自体が砕け散ったのである。兵隊を攻撃したのは見覚えのある日本刀。
「日本!」
「間を作っていただきありがとうございます。おかけでこれを出すことが出来ました」
日本の手に握られているのは、前に日本の自宅に遊びに言ったときに、大切に飾られていた一振りの日本刀だった。昔使っていた刀だと、名工のものではないが自分はこれをいたく気に入っているのだと、彼が言っていたのを思い出す。
日本は一瞬で数騎の兵隊を壊すと、さっとフランスと背後を合わせるように立った。額の汗をぬぐいながら、フランスは自嘲気味に笑う。
「……あー、こういうのはイタリアの専門だと思ってたんだけどな」
「私もですよ。日本男児としても……少し気は引けますが。でもしょうがありません、多勢に無勢です。目的もこれを倒すことではないですからね」
「それもそうだね。……さて日本」
「はい」
すっと、静かに身構える二人。フランスは不敵に微笑み、高らかに宣言した。
「逃げるよ!!!!!」
そしてこの物語冒頭へと戻る。
「……とにかく、敵の本体を見つけないことには、ですね」
日本は兵隊を叩き切った日本刀を、静かに鞘に入れながら言った。
「あぁ。でもこの後どうしたらいいかさっぱりだよ」
フランスの言葉には、日本も薄い笑いを浮かべる他なかった。しかし止まっていてもらちが明かないのも、また明らかである。
「動いてみますか。武器もありますし。足音や変わったことには最大限気を付ける方針で」
答えは、それしかなかった。
「うん」
フランスは立ち上がる。だがぐいっと大きく伸びをしたところで、思い出したように呟いた。
「…………お腹が減った」
「…………」
数秒ののち、フランスの目の前に差し出された手には、小さな竹かごの器にのったおむすびが鎮座していた。艶やかな米粒と、ほのかに鼻をくすぐる海苔の香りが、このおむすびが偽物などではないと物語っている。
無言の笑顔でそれを差し出す日本。フランスはおむすびと日本の顔を見比べ失笑し、そっとかごを受け取った。
「…………具現化、できるんだったね」
「食べ物もそのようですね」
フランスはじっと手の中のおむすびを見つめた。おむすびの温もりがじんわりと伝わってくる。フランスはごくりと唾を飲み込み――――ひと口、おむすびをかじった。
「さ、進みましょうか。のんびりしているわけにもいかないですしね」
「………」
口のなかにおむすびがあったため、フランスは話すことが出来ず、だが懸命に頷いた。そんなフランスを見つめ、日本はふっと微笑むと、薄暗い廊下を歩き始める。
「とりあえず地上に出たいですね。上への階段を探すということでいいでしょうか?」
フランスに確認をとろうと振り返ると、フランスはおむすびの二口目――三口目かもしれない――を口にいれたところだった。恍惚の表情を浮かべ、感激したようにふるふると震える。
「…………」
フランスがあまりにも意気揚々と幸せそうにおむすびを頬張るので、日本は少し不思議になってきた。
「………一ついただけますか? そのおむすび」
どうぞどうぞとでも言いたげに、フランスはかごを日本に差し出す。ひょいっとひとつを取り出すと、日本はまじまじとそれを見つめた。見た目はごく普通のおむすびである。
やや緊張気味に、一口目をかじった。
「…………!!!」
ほどよく柔らかい、甘味さえ感じるほどのしっかりとした米の味と、それと絶妙なハーモニーを奏でる海苔の香り。塩加減もちょうどよく、全てが完璧なおにぎりといえた。自分で具現化したものとはいえ、その美味しさに脱帽する他ない。
フランスと目をあわせて、互いに一生懸命頷く。以下、二人の声にならない会話。
―――フランスさん!これ美味しいですね!!!!
―――俺もそう思う‼ 具現化した日本天才だな‼
―――日本産の最高級の米と海苔をイメージしたのですが、ここまでとは!!!!!
―――ホントに旨いよ!
声には出さず感想を語り合う。グルメなフランスにも、このおむすびが認められたことが、日本は少し嬉しかった。
おむすびを頬張りながら、二人は廊下を進む。
一方、現実世界のアメリカ。
―――病院は手配した。イギリスの秘書には一応あったことを伝えた。
アメリカは今、イギリスで最も大きな病院にいた。イギリスの秘書いわく、イギリスが『人間の』病として重い風邪などを患ったときには、必ずこの病院を使うのだという。ここならば、下手な混乱を生むことなくやってくれるだろう。
―――あとは…………
唇を固く結ぶ。
―――あとは……俺の、気持ちだ…………
アメリカは広すぎる病院のロビーにあった、四人掛けのソファの端に腰をおろした。
正直、イギリスが倒れたことで、ここまで心が乱れるとは思っていなかった。過去のことはふっきれ、彼とはもうすでに一対一の国同士だと、そう思っていた。
だが。
ぐしゃり、アメリカは髪をかきあげうつむいた。
どうしようもなく深いため息がでる。急がねばと思う一方で、今はこうしている時間が必要なのだと、アメリカは自分に言い聞かせた。
そのとき。ふと、懐かしい気配を感じて、アメリカは顔を上げた。
「…………?」
イギリスと、同じ気配だった。
「―――まさか、」
目を覚ましたのかもしれない。自分を呼びに来てくれたのかもしれない。自分がこの病院に来たことが無駄になるのはどうでもよかった。ただ、確認したかった。
アメリカは立ち上がり、気配のする方向へ向かった。近付くにつれて、気配がだんだんと強くなっていくのがわかる。
――――イギリス
歩みは次第に早足になり、やがて駆け足になった。看護婦に注意されるが、返事だけを返してそのまま進む。あと少し、あと少しだ。
植え込みのある角を曲がって、ついにアメリカは気配の本人をとらえた。
「イギリ――――」
声をかけようとして、アメリカはそのまま言葉を失った。せざるを得なかった。
感じた気配は、実際に目の当たりにすると、イギリス本人のものよりかは随分弱いものだった。否、気配を出していたのはイギリスではない。
気配を発していたのは――――
「…………嘘、だろ」
病院のざわめきのなかに、ぽつりと言葉が落ちていった。
「あ、階段あったぞ日本」
おむすびを食べ終え、お腹もふくれた二人は、上に行く手段を探して歩いていた。フランスは薄暗い通路と通路の間に、一目ではわからぬよう巧妙に設計された階段を見つけ、日本を呼ぶ。
「思ったよりはやく見つかりましたね」
駆け寄りつつ日本が言った。
「うん。もう10分くらいは探すと思ってたからね。良かったよ」
フランスは階段の続く先を見つめる。
「暗いし、狭い。夢の変わり目がこないうちにはやく抜けちゃおう」
「はい」
フランスが先陣を切る形で、二人は一列になって階段を上る。カツン、カツンと自分の靴音が反響するのみを聞いて、フランスはただただ黙々とのぼっていった。日本も口を開く気配はない。不安な気持ちが頭をもたげたが、かえって心地いいと言われればそんな気もする、そんな沈黙だった。
やがて階段の出口が見えた。
「…………ふぅ」
フランスはため息をつき、ひらけた廊下にでる。窓があることから、地下からはなんとか脱出できたのだろう。
「日本、でれ――――」
出れたよ。言葉はそう続くはずだった。しかし振り替えってフランスは絶句する。
さっきまでそこにあった階段が、ない。
「…………え⁉」
壁をさわってみるが、感触はただのありきたりな冷たい壁である。一瞬で音もたてず、階段は消えてしまったのだ。
「え、ちょま、日本⁉ どこいった⁉」
「まだここにいます‼」
慌てて叫ぶと、焦ったような日本の声が聞こえた。もとは階段があった壁の、向こう側からだ。
「日本‼」
壁にびったりと耳をつけ、日本の声をできるだけ拾おうとする。
「これって閉じ込められただけ……じゃないよね。変化が始まっちゃったわけだ。ここ壊せば出てこれそう?」
「それは閉じ込められた瞬間に試しました。ですが道自体はもうフランスさんのいる空間とは違う場所につながっていました。おそらく、今ギリギリ声だけが届いている状態かと」
つまりは今この壁を壊しても日本自身はいないわけだ。フランスは歯ぎしりした。
「フランスさん、中庭覚えてますよね。始めに見た」
「覚えてる」
「幸い私もフランスさんもこの屋敷の地形を一応把握してます。中庭を、しゅう……ばしょ……い……ですか……」
最後の方はだいぶ聞き取りづらくなっていたが、言わんとしていることはわかった。
「わかった」
「…………」
それきり壁は沈黙した。完全に空間が切断されたらしい。今フランスが立っている場所の歪みも激しくなり始めていた。
「…………」
地面をしっかりと踏んで、ひたすら変化が収まるのを待つ。一回目の時は、ああして日本を励まして見せたフランスだが、正直なところ彼自身もこの目が回るような景色は苦手だった。
――――美しくない!!!
心のなかで叫ぶ。恐ろしいほど様々な色が交わっているのは、不安を煽るという点ではある意味芸術的と言ってもいいほど、ひどく不気味で吐き気をもよおすものだった。
1分ほどたって、変化はゆっくりと終息を迎え始めた。大きな波が小さな波に、そして小さな波は地面を波打つようになめると、ふっと消えた。
―――終わったか。
体の緊張をほどくフランス。ぐるりと周りを見渡す。
「…………」
自分がいる場所は、さきほどまでの窓がある廊下と何ら変わりなかった。ただ違うのは、窓から見える景色か。
―――雨が降ってる。
ついさっきまでは晴れた空が見えたはずである。場所は変わらなくとも、夢は何らかの変化を起こしたに違いない。
実は、フランスはこの世界に入ってからずっと気になっていることがあった。イギリスの存在のことである。
―――夢って、自分が主人公の空想世界みたいなもんだよな。
自らが夢をみたときの感覚を思いだし、一人胸中で頷く。夢を見ている本人がいない夢の世界など、この世の中にはない。つまり今フランスがいるのは『イギリスの夢』なのだから、イギリス本人がこの夢のどこかにいるはずなのである。
―――そのわりに、今のとこイギリスの存在はまだ見つけてない。
イギリス自身が隠れているのか、あるいは何者かがイギリスを隠しているのか。
おそらくは後者である。
―――中庭に行きつつ、イギリスも探してみるか。
なんとなくこの後の見通しがたって、フランスは顔を上げた。しかしそのとき。
「…………あれは。」
何か見覚えのあるモノが奥の廊下を曲がっていった。子供のようにも見えた。キラキラ光る金髪、そして薄汚れた緑のフード。
無言で、できるだけ音をたてないように足を運んだ。レイピアを握る手に力をこめ身構える。
だが壁にぴたりと体をつけて、そっと曲がり角の先をうかがおうとしたとき、何かが耳に届いた。
「ぐすっ……すん…………ずっ」
――――泣き声……?
ついにフランスは曲がり角の奥を見据えた。思ったよりすぐ近くで、小さな子供が泣いている。それは過去の小さな隣国にそっくりだった。
「…………イギリス……?」
子供が涙でいっぱいの翡翠の瞳をあげた。
「ふらんす……?」
「…………雨、ですか」
二回目の変化が終わり、目を開けた日本は目を細めて天を仰いだ。雫が何滴か顔にかかり、涙のように伝っていく。
変化のあと、初めは地下にいた日本は、今度は一転して屋外へと飛ばされていた。記憶が確かなら、今いるところは門と玄関の間にある庭である。地面を覆う芝生、バランスよく鎮座している円形の花壇、そして脇の方には咲き乱れるバラのアーチ。中庭と同じ空気を感じた。
日本は屋敷を振り返った。ここからなら別宅の全景を見ることができる。
別宅はかなり大きな建物だった。中に居たときはわからなかったが、その周囲には木々がうっそうと繁っている。屋敷は森に囲まれているのだ。記憶をたぐって、そういえばそうだったかもしれない、と日本はぼんやり思い出した。
しかし刹那、爆発的な殺気に日本の意識は引き戻される。乾いた銃声が響くのと、日本が斜めに跳んだのがほぼ同時だった。
「……ッ!!!」
何も考えず、ただ逃げるように駆け出した。ただでさえ遠距離武器と刀では不利だというのに、不意を突かれるのではなおさらだ。敵の方向に見当をつけることは出来るが、姿を確認する余裕などはない。
――――どこか隠れられるところ……!!!
息を切らして森のなかに駆け込む。だがまた銃声が一発木々にこだましたとき、日本は左肩に鋭い痛みを感じた。
「……、……!!!!! 」
瞬時に木の幹の後ろへ隠れる。痛む肩に手をあてると、鈍い色を放つ血がべっとりと手についた。
「……参りましたね」
小さく小さく呟き、大きく息を吐く日本。呼吸を整えたとき、声がした。
「日本ー? 隠れないで出てこいよー」
その声にハッとする。まさかと思ったが、このまま顔を出せば格好の餌食だ。
「…………」
日本はポケットに入っていたハンカチで、肩の傷口をしばる。とりあえずは血が止まったことを確認すると、身構え、幹の後ろから飛び出した。
「あ、いたいた」声は随分呑気だった。
木々を縫うように走る日本。何度か銃弾が足元を掠める。それでも森を走り続け、やがて日本は横目で敵の姿をとらえた。
木々に溶けるような深い緑の軍服がちらつき、わずかな日の光を浴びた髪が輝く。この状況でなかったら美しいとも思える姿だった。
「イギリスさん!!!!!」
「よう日本。逃げんなよ、遊ぼうぜ」
イギリスが不敵に微笑む。声や姿はいつもの彼だったが、まとっている雰囲気が完全に別物だ。
日本は眉をしかめると、一か八か、さっと進路を変えイギリスの懐に飛び込んだ。イギリスは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに普段の彼にあるまじき下衆な顔で笑うと、日本の刀を銃身で受ける。拮抗する力で押されあう銃身と刀が、ガチガチと音をたてた。
「なんでこんなことするんですか!!!!」
「は、それがお前に関係あるかよ日本。全部、俺のための行動だ」
至近距離で日本は叫ぶが、イギリスにはまるで届いていない。日本は下唇を噛むと、渾身の力で銃をはじき、斬った。
ゴトリと切られた銃が地面に落ちる。
「銃も斬れるのか。おもしれぇな!!!」
イギリスは高らかに笑うと、すぐにまた新たな銃を具現化し、日本に向かって構えた。
――――来る!
日本は身構える。だがイギリスは銃を構えたままぴたりと止まり銃を見つめると、やがてそれを投げ捨てた。もしかすると本来のイギリスに戻ったのではないかと、日本の心に淡い期待が浮かぶ。だがイギリスが新たに一振りの剣を具現化したことで、その期待は打ち砕かれた。
「やっぱりさぁ、止めた。一瞬で殺すじゃ面白くないだろ」
イギリスが赤い舌をチロリと見せ、切っ先を日本に向けた。
「じっくりなぶってやる」
「…………」
覚悟を決める他ないようだった。イギリスを、彼を切る決断を。
日本は目をぎゅっと閉じ――――そして開いた。腰を落として構えの姿勢をとる。
「…………参ります」
日本が跳んだ。
「なんでフランスがここにいるんだ?」
泣き張らした目をしぱしぱ瞬かせて、小さなイギリスは驚いたように尋ねた。
「あ、いや……泣き声が聞こえたから……みたらお前だった」
調子が狂って頬をかくフランス。これはどういうことなのだろうか。何故イギリスは小さくなってここにいるのか。
そこで、フランスははたと気付いた。
「そうか………おまえ、夢見てるのか」
「?」
「あ、いや、なんでもない」
フランスはきょとんとするイギリスの横に、どっかりと腰を落とし肩を並べた。
「なんで泣いてたの?」
「う、うるさい!関係ないだろ、別に……」
後半はもごもごと口ごもるイギリス。その行動が昔のイギリスそのままで、フランスは僅かに緊張していた心が緩むのを感じた。
「言いたくないなら別にいいよ。俺は世界のお兄さんだしね、無理なことはしない。でもさ、」
フランスは真っ直ぐイギリスの瞳を見た。
「悲しいときは誰かに甘えなイギリス。溜め込んじゃうよ」
「……………うん」
こくりとイギリスは頷く。素直な彼にフランスも自然と微笑みがこぼれる。
「……ところでおまえ、俺が大人の姿でも驚かないのな」
「え? おまえはいつものフランスだぞ」
「ん? そんなはずは……」
言いながら自らの服を見たフランスはぎょっとした。いつもの洋服ではなく、水色地に刺繍をほどこした、まだ小さかった頃に着ていた服になっている。
「…………まさか」
フランスはすぐさま鏡を具現化した。さっとそれを顔の前にもってきて、そこに映った自分を見る。指を顎に持っていくが、少なくともそこに髭はなかった。
「……嘘でしょ、俺、若返ってる……?」
鏡のなかに写る自分は、ちょうどこの小さいイギリスとやんちゃしていたころの姿だった。イギリスの思いを受けてなのか、理由はわからない。だが若返ったのは事実である。たとえ今の一瞬だけだとしても。
――――イギリスの夢を受けて、姿を変化『させられた』……?
本当にそうならば末恐ろしい。要はイギリスの夢の干渉をうけるということだ、彼が単にその人物を若返らせたり老いさせたりするのみでなく、人の本質そのものを変化することも、あるいはできるかも知れない。
「…………フランス?」
「あ、」
イギリスの不安そうな声に呼び戻され、フランスは我にかえった。とにかく今自分に実害はないのだからいいじゃないか、と理由をつけ、一旦その考えを脇におく。
「ごめん、ぼーっとしてた。どうした?」
「え? あ、えっと……お話、しないか?」
「お話?」
「お、俺、この前な、すっげー綺麗な鳥を見つけたんだ‼」
興奮ぎみに、イギリスはその小さな手を広げて「これくらいの!」と言った。その鳥を見たときの感動を、回らない口で一生懸命語るイギリス。フランスは何も口を出さずにうんうんと頷く。
続いて話は湖で見た妖精の内容にうつった。変わらず穏やかに相槌を打つフランスだったが、イギリスがふいに言った。
「フランス、ちゃんときいてんのか!」
「聞いてる聞いてる、妖精さんだろー?」
「あ! おまえ信じてないだろ!」
イギリスは頬をぷうっと膨らませ、怒ったような態度を見せた。笑いながら軽くそれを否定しつつ、手をヒラヒラとふる。
「ちゃんと聞いてるからさ、話してよ、続き」
フランスのその言葉は、小さな彼にとっては意外なようだった。一瞬驚いたように目を開くと、照れたようにはにかむ。
「しょうがねぇなー」
そしてまた話を続けるイギリス。だが一方で、フランスはえもいわれぬ懐かしさを感じていた。
昔はよく森に遊びにいって、こうして二人で尽きない話をしたものだ。多くが、流れ星を見たことや、近所の村に女の子が産まれたことなどの他愛もない話だったが、今思えば、あれは確かに楽しい時間であった。とても、とても幸せな。
――――戻りたい。
不意にそんな感情が頭をもたげた。
――――この時間が永遠に続けばいいのに…………
「叶えられるよ、その夢」
驚いて、フランスはばっと声の方を向いた。
いつの間にかイギリスが話をやめ、自分の腕にすり寄ってきている。
「どういう……こと、だよ」
「叶えたい夢があるんだろ? なら簡単。夢の世界を作っちゃえばいい」
イギリスがいつもの幼さの残る笑顔で見上げてきた。
「難しクないよ。夢に身ヲ委ねるダけ……」
翡翠の瞳が自分を捉えている。柔らかく、優しい光で見つめてくる。あぁそうか、もう頑張らなくていいかもしれない。ずっと幸せならそれが一番の筈だ。現実の辛いことも、全部全部忘れてもういいだろう?
「サあ…………」
フランスはゆっくりとまぶたをおろす。だがその瞳が完全に閉じられる前に、彼の脳内に今のイギリスの声が響いた。
普段は仏頂面で、なんの可愛げもない奴が、不敵に微笑む。
『くたばんなよ、クソ髭』
「…………!!!」
瞬間、フランスの手に細身の短剣が出現し、フランスはイギリスを壁に押しつけるかたちで、その刃を彼の小さな首にあてた。
ひどく目が眩む。いつの間にか自分の服装はもとに戻っていた。イギリスの口元が三日月のように歪み、なぜこうなったかわからないとでも言うように、イギリスは首をかしげた。
「アレ」
「あれ、じゃねぇよ」
襲う目眩に耐えながら、フランスは声を絞り出す。
「おまえは誰だ。俺の知ってるクソ眉毛じゃない……」
誰だと聞いておきながら、フランスはこのイギリスの正体におおよそ見当がついていた。
「夢魔だな、おまえが。」
「フフ、そウダよ。ボクが夢魔」
フランスは手にもった剣に力を込めた。
「オット!今はボクだけド、この体は彼ノ精神からできテルし、見えないだケでこの中にハ彼ガイる。傷つけたら彼が痛がるヨ」
わざとらしく、痛がったふうに「おおお」と声を上げる夢魔。フランスは舌打ちする。
「なかなか酷い奴だな、おまえ」
「そウカな? この夢を見たいって言ったのは彼で、ボクはそノ手助けをしテアげたに過ぎないンだけド。そもソも終わらない夢だっテ彼が望んだコトだよ」
「彼………イギリスが、か⁉」
「他に誰ガイル?」
夢魔の言葉は衝撃的であった。夢魔が単にイギリスにとりついたのではなく、イギリス自身が夢魔にとりつかれることを望んだというのか。夢魔が嘘をついている可能性はあったが、ここで奴が嘘をつく理由も見当たらなかった。
「……だけど、おまえは悪夢を見せる悪魔だろ。それをイギリスが望んだのか?」
「夢魔ニモいろいロあってネ。ボクはいい夢を見せテ、永遠の楽園ヲ造ってアげる夢魔ナノさ。デモ………」
夢魔はそこで言葉を切ると、にんまりと唇をつり上げた。
「コノ夢では、彼は古くカラの友人ニ刃を向けラれて絶望するバッドエンド」
「!!!……おまえ……‼」
「君がシタことダよ。この体ノ中に彼がイルって言ったロ。今この体ヲ操作しテるのはボクだケど、彼もこの夢ヲ体感してルんダナ」
剣をもつ手が怒りに震える。しかしそれは目の前の夢魔に対してではなく、この状況をうみ出してしまった自分自身にであった。軽率すぎたと後悔する。
だがそんなことを考えている暇は与えられない。
「……‼」
突如夢魔の体――もといイギリスの体が淡く光だした。
「アァ、時間切れダ」
「時間切れ?」
フランスのおうむ返しに、夢魔は答えない。
「ボクはモう一人の夢ニ行くよ。そっチモなかナか……面白そうダしね」
じゃあね、と最後に不気味に微笑むと、輝くイギリスの体は力を失ったように前に倒れこんだ。
「おっ……と」
それを優しく抱きかかえ、フランスは静かに眠るイギリスの顔を見る。
到底悪夢を見ていたとは思えない、安らかな寝顔。かえってそれが、フランスの心を強く締め付けた。永遠の楽園をイギリス自身が望んだ事実。それは、間違いなくイギリスが現実から逃げたかったからなのだ。
「溜め込みすぎんなって言ったろ……坊っちゃん」
小さく呟いても、眠るイギリスは答えない。やがて彼のまとう光が強くなると、その光とともにイギリスの体は音もなく四散して、消えた。
「…………」
しばしその消え行く光を見つめるフランス。だがそのすぐ後、夢魔の言葉を思い出したフランスははっとした。
「日本…………!」
夢魔は『もう一人の夢に行く』と言っていた。この夢にいる『もう一人』は、 イギリスの他には日本しかいない。もし日本が、自分とは別のイギリスと接触していたら。自分がそうであったように、夢魔から何らかの影響を受けるだろう。…………彼が、危険だ。
「クソッ……!!!」
今日何度目かわからない悪態をついて、フランスは駆け出した。
埒があかない、と日本は思った。
既にイギリスを傷つけずに戦いを終えようという気は毛頭ない。でなければ自分が死ぬからだ。だが、その覚悟を決めたいまでさえ、日本はイギリスに少しの傷も負わせることができていなかった。
「……ッ」
何度このやり取りが行われたことだろう。剣の切っ先が、日本の頬のすぐ横をかすめていく。僅かに刃が頬を切って、雨ではない温かい液体が流れていくのを感じた。
日本も負けじと刀を振るが、人間離れした速さでかわされる。そしてイギリスは振り返り様に、わざわざ剣ではなく拳で、日本の腹部を思いっきり叩くのだ。
吹っ飛ばされる日本。すんででギリギリ受け身の耐性をとり地面に転がるが、それももう限界に近かった。
体力も、速度も、現実ではそんなに大差なかったはずの能力が、今や天と地ほどの差がある。これもあるいは夢の効果なのかもしれないが、理由がなんにせよ今自分が押されていることに変わりなかった。このままでは自分の体力が尽きたとき、自分は負ける。勝負を仕掛けなければならない。
日本は今までと刀の持ち方をかえ、自然体のまま刀を地面と垂直になるように持ち、手首を返して刃をイギリスの方に向けた。何が始まるのかと、イギリスは楽しそうに眉をあげる。
しばしそのまま立ち続ける日本。だが突然、倒れるように前のめりになると、その勢いのまま走り出した。
全ては一瞬だった。イギリスの剣を刀で弾くと、そのまま高く跳躍。イギリスの背後に回り込んで、刀を振る。
しかしイギリスはそれに反応し、剣の鞘でその攻撃を受けた。余裕のある笑みで、日本に向かってざまあみろと呟くイギリス。だが次の瞬間、日本の左手を見たイギリスは驚きに目を見張る他なかった。
日本の手には、いつ具現化されたのか、短刀が握られていた。
「こいつ…………!!!」
「……手は抜かないと、決めましたから」
なんの躊躇いもなく、日本は短刀をイギリスの腹部に刺す。ついでに内蔵をえぐるように手首を回した。仕方がないことだとはいえ、リアルな感触に日本は眉をしかめる。
「がああああああっ!!!!!」
あまりの痛みにイギリスは日本を突き飛ばす。受け身をとれず日本は力の向きに倒れた。
かなり転がったあと、日本は体制を立て直して、イギリスを見た。彼はなお叫びながら地面にうずくまっている。日本の手には、確かにこの状況をつくった血まみれの短刀が握られていたが、それが忌々しくて、日本は短刀を放り投げた。
「……イギリスさん……いえ、」
日本はイギリスに問いかける。
「あなたはイギリスさんではない。イギリスさんの姿をした夢魔よ…………あなたの目的は何なのですか?」
彼は答えないで叫び続ける。
日本はため息をついた。だがそのとき、不意に叫び声が止んだ。
「…………?」
不審に思う日本。すると突如、狂ったようにイギリスが笑い始めた。
「はははははははは!!!! 痛ぇ、痛ぇよ日本! ははははははははははは!!」
あまりにも恐ろしい光景だった。まるで悪魔のような笑い声が庭に響く。
――――狂ってる。
日本は見ていられなくて顔を伏せた。だがその瞬間、またピタリと笑い声が止み、そして日本が再び顔をあげ異変に気付いたときには、もう遅かった。
イギリスが、いない。
「なっ…………‼」
「こっち。」
背後から、声とともに刺すような殺気が伝わった。身の毛がぞわりとよだつ。まずい、そう思ったが間に合わない―――― ボキリと嫌な音をたてて、右腕に激痛がはしった。
「……ッあ…!!!!!」
倒れる日本。イギリスは先程までとはうってかわって悠然とそれを見下ろした。
「おい日本、まさかそれで終わりじゃねーよなぁ?」
普段の紳士的なイギリスにあるまじき卑しい声が降ってくる。だが答える余裕などなく、日本はただ叫び声を堪えることだけで精一杯だった。
「……なんとか言えよ」
不服だったのか、イギリスはうずくまった日本を泥とともに躊躇なく蹴りとばす。
「が…………っ!!!!」
あっさりとされるがままになる日本。肋骨がミシミシと軋むのが嫌でもわかってしまい、気にしなければ気にならない痛みまで気になり始めた。蹴られた部分がじんわりとした痛みを生じ、強い衝撃で呼吸が苦しくなる。腕だけではなく体全体が、活動の限界を叫んでいた。
黙って縮こまる日本に、イギリスの影がおちた。何も言わず日本を見つめるイギリス。そして日本も、霞みかけている視界の中で、必死に首をあげてイギリスを見た。
さっき確かにつけたはずの腹部の傷が跡形もない。斬られた服の下の肌は、恐ろしいほど白く、よくよくみればそれ以外の場所にも、傷ひとつ見当たらなかった。
「……ど……う、して…………‼」
「俺は万能だ。ここでは、俺は万能なんだよ日本」
赤い舌がチロリと見えた。
「傷を治すくらいどうってことねぇ」
そんな常識はずれが許されてたまるかと思う日本。だが、実際のところイギリスの傷は消えているのである。理不尽な話だが、信じなければなんだというのだろう。
「……ッ……」
するとイギリスの靴が日本の右手を踏んだ。もう折れているのかいないのかさえわからないし、気にする余裕もなかった。ひたすらに、飛びそうになる意識を留めておくだけで精一杯である。
「苦しいか? 日本。苦しいよなぁ?」
イギリスは日本の手を弄ぶのをやめ、代わりに剣を抜いた。
「安心しろ、俺が……俺が今楽にしてやるぞ…………」
イギリスの表情は、優越感と興奮と―――そして深い幸福感で溢れていた。浮かべた笑顔はつくったものではなく心からのもので、かえってそれが恐ろしく、引いてみれば美しいとも思えるものだった。
――――イギリスさん……
イギリスが剣を振りかぶって、おろす。
ここまでか。日本が諦めて目をつぶった、その時だった。
「‼ クソッ‼」
突然イギリスがそう言って、自身の後方に跳んだ。何事かとおもってイギリスのいた場所を見た日本は、すぐに察した。
一本の剛弓が深々と地面に突き刺さっている。
「日本!!!!! 無事か!!!!!」
フランスの声だった。
何か言おうと口を開くが声がでない。駆け寄ったフランスは、
「いい、いい! 喋らなくて!」
と言うと、丁寧にしかし素早く、日本の体を起こした。
「……いっ……」
体が痛み思わず声に出てしまう日本。
「腕……だな、折れてるの。足は大丈夫か? 歩けるか?」
日本はゆっくりと頷く。それを確認してから、とにかく少しでも夢魔と距離を取ろうとして、二人は庭の正門の方へ向かった。今のところ奴が襲ってく気配はないが、用心するに越したことはない。日本に声をかけようかと思ったが、切れ切れの呼吸をする彼に話させるのは気が引け、ぬかるんだ地面を、黙って一歩一歩踏みしめるように歩いた。
正門は思ったより近かった。これではまだ近い。正門の外、屋敷へと続く石畳道をわたろうと、フランスは進もうとした。
「………ソッチ行っちゃウンだ? ざーんネん 」
もう彼はイギリスの声ではなかった。別段答える必要もなかったが、フランスはわざわざ首を回してイギリスの方を見る。
「おまえだけは許さないよ」
静かな言葉。普段のフランスから発せられたとは到底思えないその氷のような声に、日本は朦朧とする意識の中でさえ恐怖を感じた。
「…………」
夢魔は何も言わないでただ笑っている。フランスは鋭く夢魔を一瞥すると、正門の外へ一歩踏み出した。
しかしであった。突如、体の異常な浮遊感を感じ、そして同時に視界が白く発光し始める。
「!! なんだ!?」
何かに引き込まれる感覚に似ていた。強い何かの引力に、戻ってこいと手を引かれているような。不快感はなかったが、不思議とひどい焦燥にかられた。なすすべもない二人の耳に、耳障りな無機質な声が響く。
「…………愛すベキ友人を自ラの愚カさカら傷つけ、それヲヒどク後悔するバットエンド。フフ、面白イね…………」
言い返す間さえなかった。
その声を最後に、音が消え声が消え世界が消えて、辺りは白に包まれた。
「――――!!!」
言葉はもう、届かない。
イギリスはどこか深い場所にいた。自分がどこにいるかはわからなかったが、深い場所にいることだけはわかっていた。
「…………」
何も考えずに、ただぼうっと宙に浮く。浮こうと思えば浮けたし、飛ぼうと思えば飛べる。それも知っていた。
「ヤア」
声がした。
「…………悪魔か」
「そうトモ言えルし、チがうとモ言えル。ボクは夢魔。君ニ永遠の楽園を見さセる素敵な悪魔」
「……夢魔、ね。淫夢じゃねぇのか」
「ボクを下賤ナあいツラと一緒にしナイでくれルかな」
「そうか。わるかった」
夢魔の姿は見えなかったが会話は出来た。
「ここはどこだ?」
「君ノ夢だヨ。君が見たイと思った夢ヲ見られル」
「便利だな」
「ドんな夢を見タい?」
「一人でいれればそれでいい」
「独り?」
「一人になりたいんだ。おまえも放っておいてくれてかまわない」
「ワかッタ」
ずいぶんと物分かりの良い悪魔だった。声が聞こえることはもうなく、イギリスは依然大の字になって宙に浮き続ける。
「…………」
考えることに疲れてしまった。
なにも、考えたくなかった。
「…………眠い」
一言呟いて、目を閉じた。